明治維新の立役者 錦の御旗


戊辰戦争から、はや150年が経とうとしている今、福島県内の神社に保管されていた、錦の御旗が見つかったというお話。

これは、現在の日本国を築く礎となった、その立役者的存在物です。
その元根となる思考が、徳川家康が自己保身の為に用いた、朱子学です。
主君に逆らうことなく絶対的忠誠を築こうとする考えからだ。
その思想的背景には戦国の世の教訓から学んだ自己保身学が強く影響している。
しかし、それが逆手になり自ら招いてしまった仇となるに至る。
奪い取った主君より、天皇という自然絶対的存在の主君が上である、という捉え方に変わった。
それを予知するかのように徳川家は、御三家と称する分家を置き、それぞれの思想を元に教育されている。
例外的なのは、その中に於いて水戸藩である。
ここでは、尊王攘夷を教育されており、万が一の場合でも徳川家側への避難回避を図ろうと考えていたのである。
しかし、最後の将軍が水戸藩から出され、その時代的環境には逆らえない思想が仇となってしまうのである。

錦の御旗は、天皇を主君とする、官軍を示す旗という事になっていますが、この錦の御旗、実は岩倉具視一派が策略したという、色濃い噂があり、その絶対的存在物としての権威を巧みに利用した、という学者も多数存在する。

公家に仕えた岩倉具視には数えきれないほどの悪性クセが有った様で、追放されたこともあるほどだ。
追放されたその時代、岩倉具視は、平民の出入りなど出来ない自分の屋敷を利用して賭博場を開き、寺銭稼ぎをしていたという話が残っている。
その時、知り合いになった、ヤ〇ザの胴元たちとの交友も闇に消えた歴史である。
戊辰戦争という、まるで水を得た魚だったに違いない。
イギリス国側からのアンダー・グランドでの強い要望もあり、国内内乱へと突き進む方向に傾いた。
そこに鎮座している有名人が、長崎に今なお現存する、武器商人グラバー鄭の存在である。
手足となった人物が、坂本龍馬、その人だ。
その後、意見の食い違いを見せ、世から消えた。
ちなみに、坂本龍馬の同志とみられていた中岡慎太郎、竜馬暗殺の前夜、岩倉具視と接見し話し合っていた事も事実として知られている。
また、両氏とも抜刀傷があったが、中岡慎太郎だけは、無数の刺しキズがあったという見分が残っている。
学者の見識によると、中岡が竜馬暗殺を実行し、その時、竜馬がピストルで中岡を撃ったのではないか? そして、その弾痕跡を判らないようにする為に無数の刀キズを故意に残した、ということらしい。 どうも真実に近い話に思えてしまう。
明治の終わりごろ、新聞紙上に載った、我こそが竜馬暗殺者である、とする記事があるが、多数の疑念が残るエセ犯人である可能性大だ。

それほどまでに混沌とした状態の日本国内情勢に一つの光り輝く、絶対的存在とは相当な威力があったに違いない。

誰一人として、錦の御旗など見たことが無い、という事が岩倉具視たちの悪知恵の始まりだという事のようです。
しかし、世は、絶対君主・天皇の錦の御旗となれば、絶対的に抵抗は排除されてしまいますので、好都合だったことでしょう。
その策略最中の同時期、孝明天皇が突然、崩御となり、幼かった明治天皇へと・・・・。
これにも色々な色の濃い黒い噂が実際あり、毒殺された、という学者たちが多い。
会津藩には深い思い入れのあった孝明天皇の死、それを語るように平和になった昭和時代、昭和天皇は時間が許す限り会津地方へと遊説訪問を度重ねられているのだ。
昭和の時代が終わろうとしているその年でさえ、会津地方へと出向かわれているほどだ。
これなど、地元でなければ知りえない事実なのである。
会津藩の京都守護として新選組は、あまりにも有名だが、名ばかりが独り歩きしている感は歪めない。
近藤 勇 隊長の三条河原でさらし首となった生首、江戸--大阪--京都と見世物にされ、現在、今も会津の片田舎の無名のお寺にひっそりと持ち帰られ、眠っている。
その隣に立つのが 土方歳三 氏の墓標である。(元同志としての慰霊の意味にて)
ただし、後々まで官軍などの眼を嫌い、人目になるようなお墓が出来たのは近年のことで、それまでは、その側に立つ大きな木の根が目印だったようだ。


ちなみに、日本国民が観たことのない天皇の姿、そして、その声、その実像を実際、見聞き出来たのは、皮肉にも、終戦(敗戦)の玉音放送以後です。

その明治維新を築いたあまりにも大きな存在であった、錦の御旗が大切に保存されていたのです。
複数枚存在した、その内の二枚が同神社に保存されていましたので、これはすごい事です。
会津討伐へ向かう途中だったことが伺え知れます。



司馬遼太郎 氏 曰く、戊辰戦争での会津討伐の戦いは、まるで鬼畜の如く、であったと記しています。

国自体を動かしてしまうほどの強靭な存在であった錦の御旗。

良きも悪くも、記憶に残しておきたいものです。

現在の日本国の成り立ちの道程のキッカケとなった錦の御旗、どのような人々の思いが染み込み、詰まっているのでしょう。

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